Steven
Happier
MY LIFE
my life from birth
兵庫県の阪急沿線、武庫之荘駅の近くの富松町に生まれ、4歳ごろまで両親、弟、祖母
曾祖父と暮らしていたが、阪神大震災で家にひびが入ったことを機に
父の職場と母の実家がある京都へ、幼稚園~高校は京都市の上賀茂神社の近くの実家に住む
嵯峨野高校京都こすもす科自然科学系統に入り、京都府の数学グランプリで2度受賞
hot pepper の webグルメレポーター約3,000名の中で、相互投票で100名以上の票をいただき
全国1位になり、賞金で7万円分参考書を買う。小2より続けた剣道は近畿大会出場
国語が得意だったこともあり、阪大外国語学部日本語専攻へ
その後、いろいろあって、先生に魅せられ京大で日本近代小説と文明の共生手段等を学ぶ。
就職では、友人が履歴書でおとされたかたきを、なぜか取るつもりで、NTTデータを受験
最終面接までのこったため、情報技術が向くんじゃないかと思い、その分野で会社を探して
ワークスアプリケーションズへ。(国家総合職教養区分も受け、筆記は2度突破)
営業と開発研修を突破し、開発(アイデア中心)、システムの導入と保守、管理、人事総務等
さまざまな仕事をさせていただき、社内1の社内報通として社内報にも載せていただく。
その後転職し、現在は株式会社新経営サービスの人事戦略研究所コンサルタントとして、
新しい人事制度構築のための現状分析を行い、it, cloud, web, 社会貢献グループに参加
会社の人たちや学生時代の友人・先輩・後輩等と楽しいプライベートを過ごしている。
題名:『真理先生』の思想と位置付け
京都での暮らし
休みの日はちびっ子とあそびまくったり、友達を好きな京都の場所に案内したり(おすすめの場所はこちら)、資格試験の勉強をしたりしていました。
習いごとは上にもある通り、ピアノを幼稚園~高校3年(高校ではジャズピアノ、今でもスペインという曲を弾いたりします)剣道を小学校2年~高校3年までしていました。
大学院での社会参加
写真にある”学生ミライネットワーク”という組織で、多大学の学生の交流イベントをしたり、市長に”京都市未来まちづくり100人委員会”のメンバーに選んでいただき、みんなの想いを叶え隊として、自転車レーンの線を引く等の政策を5つ実現していただきました。
また”GTEP(京都大学起業家育成プログラム)”では、文理両方の学生と社会人の皆さまと学びました。
アカペラ
Harmony
群馬大学Voice Cream
弟がヴォーカルをしていました☆
学業とその後
京都大学大学院(専攻:人間・環境の共生文明)の学生だった頃、異分野交流会で数学科の学生と友達になり、2人でアカデミック雑談会という様々な学部と学科の学部生と院生が、自分の専門分野を話し合い語り合うことで、相乗効果を生む会を作り、学内に加え、他大学の学生にもきていただき、今でも東大進学組と東京就職組、その友人で中央食堂などを会場にして行われています。
また、talk to the future☆というイベントを主催して、50、100、1,000年後のここ、日本、世界の理想を、magnetic notesという、どこにでも貼ってはがせる付箋を使いながら議論したりしました。talk to the future☆の参加者は現在は、外交官、医師の卵、カメラマン等として活躍しています。